FAで阪神からメジャーに移籍した。移籍前、人気選手の放出を引き止めようとした阪神球団が提示した年俸は、5年12億円(推定)という破格のものであった。それに対しニューヨーク・メッツでの年俸は、わずか2200万円(推定)であったとされる。金額の桁を間違えて契約をしてしまったと語っている。大減俸となってのメジャー挑戦であることから阪神ファンもメジャー移籍を好意的に見る者が多い。
メッツに行きたかった理由は「メジャーで活躍して有名人になりたかったから」と『いつみても波瀾万丈』(日テレ系)に出演した時に語った。ただしそれはメジャーに行きたかった理由であるにすぎない。低年俸でもメッツにした理由は、何事につけ目立つ首都のニューヨークに行きたかったからだ、という趣旨のことを語ったこともある。なお、イチローがシアトルマリナーズへ移籍する事を知り、イチローに負けたくないという対抗心があったのではないかという説もあるが、新庄には似つかわしくないので、憶測だろう。
メジャーに行く直前に自身が所有していたフェラーリをオークションにかけることを発表し、4200万円で落札された。また「僕のフェラーリ売ります」というCMも話題になった。
メジャー初打席で初安打、その足でセンターフライをタッチアップして2塁を陥れる。後続打者の本塁打でメジャー初得点。
適時打を打つことが多く、チャンスに強いクラッチ・ヒッターとして有名になった。
守備では、センターを守りながら、ライトが捕球し損ねたボールをうまく処理したことで、驚異的な守備として全米的に話題になった。
2001年8月3日のアリゾナ・ダイヤモンドバックス戦で4番打者として先発出場。メジャーリーグでスタメンで4番を打つのは日本人初。しかしこの日の成績はランディ・ジョンソン投手を相手に4打数無安打。
快進撃で優勝争いにまで浮上したメッツで4番を張りつづける新庄の勝負強さにあやかろうと、メッツのロッカールームではメッツナインが試合前に新庄の椅子に手を当ててからグランドに出る光景が見られた。
2001年度ベストドレッサー賞を受賞。
ニューヨーク・メッツからサンフランシスコ・ジャイアンツにトレードで移籍した。ジャイアンツでは新庄はセンターを守り、右翼はバリー・ボンズで並んだ。ボンズは「守備はおまえに任せるよ」と言った。ボンズは誰もが一歩距離をとってしまう存在であったが、「グレートなセンター」とまで言わしめるほど仲良くなった。
以前はジーンズが似合わなくなるのを嫌い、下半身を鍛えなかった、と言われる。しかしのちに本人が語ったところでは、これは照れ隠し。本当はランナーとしての瞬発的なスピードを維持するために、あえて長距離走の訓練を避けたということらしい。
メジャー3年目のキャンプで必死に頑張る若い選手を見て「自分の代わりに彼らに(オープン戦で)チャンスを与えて欲しい」と首脳陣に提言をした所、「消極的な選手である」と受け取られてしまった。
メジャー3年目には、ケガのせいで、出場試合も少なく、成績も低迷した。このことで翌年の契約は結ばれなくなったので、日本に戻ってくるしかなくなった。なお、このケガは最後まで治癒しなかったらしく、最終的な引退の理由ともなった。
新庄は英語が苦手な様で、日本に早く帰ってきたのも(成績低迷のせいでなく)メジャーリーガー達と意思疎通がしにくかったためではないか、という好意的な解釈もある。なお、本人はもともと3年で戻ってくるつもりだったと語っている。専属通訳曰く「ヒアリングはバッチリだったが、絶対に英語を喋ろうとはしなかった」
メジャーリーグ在籍中、父親に「チームメイトと会話ぐらいはできるようになれ」と言われた際に「俺、アホやし、チームメイトに日本語教えるわ」と応えている。実際に日本語で会話していたかどうかは不明。ただし、変な用法の日本語をチームメイトに流行させていた。
メッツ在籍中、ロッカールームでコーヒーを飲んでいて「にがっ!」と思わず言った際、隣にいた黒人選手に殴られたことがある(黒人の蔑称が「ニガー」なため)。後に弁明して誤解は解けた。
テレビ番組でメジャー時代に人種または国籍の壁を感じていたことを告白しており、結果を出しても評価されないことに悔しさを覚えていたようである。イチローもこの類の発言を行っている。
メジャー挑戦初年度、「意味なしオちゃん、無理オちゃん」で流行語大賞を狙ったが失敗に終わった。このとき「意味なし男」と「意味なし夫」のどちらがいいか本気で悩んだらしい。
『開運!なんでも鑑定団』にゲスト出演し、親が1000万単位の借金の形として知人から譲り受けた掛け軸を披露したが、鑑定結果は5000円。一瞬しょげるが、突然ADからマジックペンを借りると掛け軸の真ん中に自分のサインを入れ、「これで僕が来シーズン活躍したら価値が上がるかも知れないでしょ!」と視聴者プレゼントにしてしまった。