新庄 剛志の伝説

1989年ドラフト5位で阪神タイガースに入団。背番号は63。

新庄剛志の球歴

1989年
ドラフト5位で阪神タイガースに入団。背番号は63。
1992年
亀山努と共に「亀新フィーバー」を巻き起こし、チームの大躍進に貢献。
1993年
背番号を5に変更。
1995年
突然の引退宣言。当時の藤田平監督との確執が噂されたが、後日引退を撤回。
1997年
オールスターゲームでセ・リーグ応援団に応援をボイコットされる屈辱を味わう。
1999年
読売ジャイアンツ戦で槙原寛己投手から「敬遠球サヨナラ安打」を放つ。
2000年
FA宣言。また、女優の大河内志保と結婚。
2001年
アメリカメジャーリーグのニューヨーク・メッツに入団。背番号は阪神時代と同じ5。
2002年
サンフランシスコ・ジャイアンツに移籍。日本人初のワールドシリーズ出場達成。
2003年
ニューヨーク・メッツに復帰するが、打撃不振でマイナー落ち。日本球界に戻り、北海道日本ハムファイターズに入団。登録名はSHINJO、背番号は1。公式発表の前日、映画『バッドボーイズ2BAD』の特別試写会にて、非公式に観客に発表した。
2004年7月11日
オールスターゲーム第2戦(長野)でホームスチールを決めるなどの活躍により、MVPを受賞する。(オールスター寸前のペナントレースではお立ち台で「MVPは僕のものです!」と宣言した)なお、お立ち台で「これからは、パ・リーグです」と当時球界再編問題で合併の危機にあったオリックス・ブルーウェーブ、大阪近鉄バファローズ、そして一リーグ制移行論議の渦中で消滅の可能性にあったパ・リーグのファンを喜ばせた。そのお立ち台で最後にいった言葉は、自身が出演していたオロナミンCのCMの決めゼリフ「元気ハツラツぅ?」であった。
2005年
パ・リーグ開幕戦(対ソフトバンク)での始球式にオロナミンCのCMで共演した上戸彩が登場したが、先頭打者のSHINJOはバットの代わりにオロナミンCを持って入り始球式を挙行。その直後、「元気ハツラツぅ?」「オフコース!!」と、上戸彩とCMと同じやりとりをした。 
2005年6月5日
中日ドラゴンズ戦(ナゴヤドーム)で日米通算200号本塁打を記録。この記録を達成した日本人選手は松井秀喜(現ニューヨーク・ヤンキース)に次いで2人目である。
2006年4月18日
恩師の中村勝広監督率いるオリックス戦(東京ドーム)、この日の1本目の本塁打に「28年間思う存分野球を楽しんだぜ。今年でユニホームを脱ぎます打法」と名付け、この日のヒーローインタビューで、突然の引退表明。この日を最後に打法命名を封印した。
2006年6月16日
広島戦(札幌ドーム)で、第1打席に日本通算200号本塁打を達成(投手:佐々岡真司)。
2006年9月15日
2007年夏の参院選への出馬を、自民党と民主党が要請していたことが判明。球団事務所は打診があったことを認めている。ちなみにその後新庄本人が断ったとのこと。
2006年9月27日
レギュラーシーズン最終戦のこの日限定で、背番号をプロ野球選手生活で最初に背負った63に変更。チームがレギュラーシーズン一位通過を決めた試合終了後、引退セレモニーを行った。
2006年10月2日
CM出演契約をしているダイドードリンコから『D-1 COFFEE』の「SHINJO引退記念缶」が12月までの限定発売。同時に『SHINJO引退記念キャンペーン』も展開(12月25日まで予定)。
2006年10月26日
対中日戦、引退前の最終試合に於ける最後の打席は三球三振だった。4勝1敗で北海道日本ハムは44年振り2度目の日本一になった。最後の打席に立つ新庄の目には涙が浮かんでいた。ちなみに最後に対戦した投手は中里篤史。
2006年10月26日
対中日戦、日本一が決まると、トレイ・ヒルマン監督より先に選手・スタッフから胴上げされた。(監督より先に選手が胴上げされることは異例である)
新庄剛志ヒトリファン倶楽部 | 引用「WIKIPEDIA」