新庄 剛志の伝説

メジャーから国内復帰時に実は一番初めに阪神に声を掛けたが・・・

日本ハムファイターズ時代の新庄剛志の伝説

メジャーから国内復帰時に実は一番初めに阪神に声を掛けたが、かつての同僚である桧山進次郎は右翼のポジションを不動の物としており、赤星憲広の台頭、金本知憲の移籍により、人気選手の新庄をスタメンでは使えないと判断した球団に復帰を断られた。岡田彰布監督が「来ても守備出来る所はないわ」と獲得を拒否した理由との見方もある。

そのオーバーとも思えるパフォーマンスのせいか利己的な性格と誤解されることが多いが、関係者達によるエピソードとして「入団時に背番号1を譲ってもらった阿久根鋼吉に即座に電話を入れ、了解を得る(阿久根は背番号を9に変更)」ということにも現れるように、素顔は他人への気配りを非常に大切にする人間である。特に日本ハム移籍後は他人を立てるように配慮を配り、その範疇は選手やコーチは勿論、日ごろファンが目にすることの少ないスタッフ(裏方)にまで目が届いているという。また、自分以外の選手にも目立ってもらいたいという想いも持っており、パフォーマンスの演出プランを提供することも多い。

入団会見の際には「札幌ドームを満員にする」「チームを日本一にする」ことを目標に掲げた。会見時はどちらも絵空事のように思われたがどちらも実現することになる。

同じ野球人だが、小笠原道大とはその正反対とまでいえる性格の対比から「ウマが合わない」「仲が悪い」とよく噂されがちであった。インタビューで新庄が小笠原について聞かれた際に「彼が日本ハムの主将です」と発言。また、2006年パ・リーグ優勝決定後の合同記者会見にて小笠原が「日本シリーズを制覇して(ヒルマン)監督はもちろん、ツーさん(新庄)を胴上げしたい」と親愛の情あふれる発言をするなど、2人は良きチームメイトで尊敬しあっている仲である。実際にベンチでも仲良さそうに会話している姿が多く見られる。「ツーさんを胴上げしたい」を聞いていた新庄も感無量の顔をしていた。

2004年1月2日放送のフジテレビ『クイズ$ミリオネア』で、15問全問正解、賞金1000万円を獲得。迷った際には鉛筆を転がして答えを選んでいた。この賞金で札幌ドーム外野右中間後方に広告看板を掲示した(当初はSHINJOシートの真上に当たる左中間後方に掲示したかったため、以前からその位置に広告を掲示していたつぼ八に位置の交換を申し出たが、拒否された)。

2004年から日本ハム主催試合の外野席に自腹で「新庄シート」を毎試合100席ずつ用意。野球少年達を無料で招待している。

日本ハム移籍後、試合前のパフォーマンスとして、カエル(サントリーの『健康系カテキン式』のCMで長谷川初範が被っていたものと同じカエル)やスパイダーマン、ゴレンジャーの覆面をつけ話題になる。ちなみに着ぐるみを付けた試合の勝率は8割(4勝1敗)。

始球式のボールを打つことでもよく知られている。2004年には、男子ソフトボール日本代表投手と始球式では異例の三球勝負を行い三振。同年、オールスターでは小学生の投げたボールを打ってファウルフライにした。ほかにも女子小学生の投げた球をレフト前に飛ばすなど枚挙に暇が無い。また、2005年のシーズン開幕戦の始球式ではバットを持たずに打席に入った(後述)。

母校・西日本短大付属高校の野球部のマイクロバスが老朽化していることを同級生である同校の野球部監督から聞いていた新庄は、2004年、同校が夏の甲子園に出場した際、部員たちに「お祝いに新しいバスを贈る」と約束。実物は翌年8月に同校に納車された。バスは26人乗りのマイクロバス「トヨタ・コースター」(700万円相当)。前方、左右両側面には「Nishitan」の文字と、新庄の用具にも刺繍されているバットを高々と掲げる真っ赤な新庄のシルエットが塗装された。後部には"Presented by Tsuyoshi Shinjo"の文字。同校のリクエストで後部座席4席をつぶし、道具入れを設けるなど改良も施された。「甲子園史上最大の差入れ」と話題になった。

2004年のオールスターゲーム第2戦(長野)で、ホームスチールを決めるなどして活躍。試合前の宣言通りMVPに輝いた。またヒーローインタビューでは、プロ野球再編問題を受けて「これからは、パ・リーグです!」と述べた。

2004年9月20日のダイエー戦は、前日、前々日のストライキのファンへのお詫びとして「おととい、昨日と試合できなくてゴメンJoy」と試合前のシートノックで森本稀哲、坪井智哉、石本努、島田一輝と5人で秘密戦隊ゴレンジャーのパフォーマンスを実施してファンの喝采を浴びた。(アカレンジャー=森本、アオレンジャー=島田、キレンジャー=新庄、モモレンジャー=石本、ミドレンジャー=坪井)。試合では4-8で迎えた4回裏に新垣渚からソロホームラン、さらに9-12から3連打で12-12と追いつきなおも二死満塁とした9回裏、三瀬幸司の投球をファイターズファンでぎっしり埋まった左翼席に叩き込んだ。しかし一塁を回ったところで喜びのあまり抱きついてきた一塁走者の田中幸雄に抱きつかれた際に2人揃って一回転、これが追い越しと判定され記録はシングルヒットに。

しかし、新庄は一塁に到達していたので記録上は安打となり、既に生還していた三塁走者・奈良原浩の得点のみ認められ、13-12とチームは劇的なサヨナラ勝利を収めた(実際、田中は奈良原の生還を見届けた上で新庄に抱きついたという)。新庄は生還する前にアウトとなったにもかかわらず、サヨナラホームランの時と同じようにダイヤモンドを一周し、ホームベースでチームメイトから手荒い祝福を受けた。このあと、田中幸はホームランをシングルヒットにしてしまったことを真っ先に新庄に謝罪しに来たが、自分の記録よりチームの勝利が大切だった新庄は先輩を気遣い「いいんです、何言ってんですか。勝ったんだから」と笑顔で返した。この試合のヒーローインタビューで、「今日のヒーローは僕じゃありません、みんなです!!」と発言した。

さらに「明日も勝つ!」と宣言、阪神時代のジンクスをものともせずに翌日もホームランを放ち、チームの勝利に貢献した。

球界屈指の強肩として知られているが、『いつみても波瀾万丈』で強肩のことを聞かれた際に「あれでも(肩の強さは)落ちたんですよ」と言ってのけた。プロに入ってから高校の野球部の同期に「お前、肩(の強さが)落ちた?」と言われたらしい。

2005年3月26日のパ・リーグ開幕戦、ソフトバンク戦(福岡Yahoo!JAPANドーム)で、上戸彩が始球式を務めた際、打席に立った新庄は、バットを持たずに打席に入ったと思われたが、ユニフォームのズボンの尻ポケットからオロナミンCを取り出し、上戸とCMで共演した時と同じ決めポーズを披露。結果は空振りだったが、ドーム内は大いに盛り上がった。

2005年5月6日、セ・パ交流戦開幕戦の古巣・阪神戦の始球式で『スターウォーズ』のダース・ベイダーに扮して登場した。ちなみにこの試合ではスタメンから外れ途中出場した。この企画はジョージ・ルーカス公認である。メジャー時代の新庄を見て、名指しで指名したらしい。

交流戦での阪神戦ではホームランを放った際に阪神ファンからも拍手が起きた。また新庄自身も甲子園を世界一の球場と評し、未だ愛着があるらしい(ホームランの打法名は「オレを育ててくれたこの球場に感謝打法」)。

日本ハムのユニフォームはビジター用がデサント製(ホームはミズノ製)であるが、以前はデサントの契約選手であった事もあり、胸元が大きくV型に開き袖が極端に短くタイトな特注品を着用している。2005年まではアシックス(ローリングス)の契約選手であったが、2006年シーズンは特定の企業と用具契約を結ばないと報じられた。

2005年7月23日のオールスター第2戦では、チーム名の胸部分に「SHINJO」、背中に「FIGHTERS」と通常と正反対にあしらったユニフォームを着て登場。新庄曰く「今日は新庄ファイターズで」。そのまま出場しようとしたが、使用許可は得られなかった。途中出場した打席には、180万円のダイヤが埋め込んであるスパイクと、ルール違反である始球式用の黄金バットで登場した(審判も「お祭りだから」ということで黙認したらしい)。バックスクリーンにバットを向けてホームラン宣言をするも、ヤクルト・五十嵐亮太に打ち取られた。

2005年9月19日の対西武戦では試合前のシートノックで森本稀哲、稲葉篤紀、小谷野栄一、石本努と5人で同じ自分の顔をかたどったかぶり物のパフォーマンス「5人のSHINJO」を披露、しかし松坂大輔に完封負けを喫してしまいかぶり物の不敗神話は崩壊(かぶり物でシートノックを受けた試合では初の敗戦だった)、パフォーマンスは結果を出して何ぼの信条を持つ新庄はこれを機にかぶり物パフォーマンスを封印した。

2006年の春季キャンプには、ルイ・ヴィトン社から提供された58万8000円の野球バッグを持って登場した。

2006年、二軍キャンプ地の沖縄県国頭郡国頭村に新設された「くにがみ球場」で行われた紅白戦に、一軍から異例の実戦出場。同球場のプロ選手による第1号本塁打を放った(打法名:「打法名はまだ早い打法!!」)。村は早くも銅像の建設や、球場名を「くにがみ新庄球場」に変えるなどのプランを検討している。

同じ日本ハムの森本は新庄のことを師匠のように思い、新庄もまた森本のことを弟子のように思っている。引退後に使われなくなる背番号1を森本に受け継いでもらいたい旨の発言も行っている。

2006年3月25日のパ・リーグ公式戦の開幕戦においては以前から「(パフォーマンスを)何かやります」と予告の通り試合前にトライク(三輪バイク。様々なバイクをベースにできるがこの時はハーレー・ダビッドソンベースであった)に乗ってのド派手な入場ショーを敢行した。その光景を見た対戦相手、楽天の野村監督(阪神時代の監督)は「あの人は芸能人ですから」と一蹴した。

新庄剛志ヒトリファン倶楽部 | 引用「WIKIPEDIA」