新庄剛志の伝説

ソノデンセツヲサグレ!新庄剛志

元祖!新庄剛志の伝説

来歴・人物

一般的な野球選手のイメージとはかけ離れた不思議な雰囲気と、独特な派手さをもったキャラクターの濃さで有名。野球選手としては強肩と俊足を生かした球界屈指の守備力は脅威的だが、打撃についてはここ一番での勝負強さがあるものの「○打席ヒット無し」と調子の良し悪しも非常に大きく、打率は2割台中盤が定位置で、首位打者や本塁打王などの個人タイトルを獲得した事は一度も無い。かつての指揮官野村克也には「打撃以外は一流」と評された。

その意味では成績で目立つ選手ではなく、むしろセールスポイントの守備やセンターからのダイレクト送球など「記録はイチローくんにまかせて、記憶はボク(新庄)にまかせて」と自身で語るように『記憶に残る』タイプの選手。そのためか「魅せる野球」にこだわりを持ち、独自に考案したファンサービスも積極的に行うなど貢献は大きい。

派手な雰囲気を振りまく一方で周囲に対する気遣いも人一倍強く、パフォーマンスを行う際には、必ず事前に相手チームや監督・コーチ・先輩選手などに了解を得るなど周到な根回しを行っていた。チームメイトからは『新庄ほど気配りをする選手はいない』と言われるほどで、その人柄のよさも人気を支える一因であろう。オールスターゲームのファン投票でも常に上位に入り、出場回数も多い。しかし、阪神時代の1997年に初めてオールスターに出場した際、後述のように応援団から応援をボイコットされている。オールスター直前までの打率が2割1分台と低迷していたこともあるが、日本ハムに移籍して新庄フィーバーを巻き起こした今となっては考えられない出来事である。このことについて新庄は札幌ドームでの引退会見で野球人生の中で一番屈辱的な事だったと話している。

ホームランを放つたびに独特な打法名を命名するのが恒例となっており、2005年4月15日の東北楽天戦ではネクストバッターズサークル内でファウルボールが局部に直撃したにもかかわらず苦痛に顔を歪めたままホームランを打ち、このとき「右○○○○打法」(○には放送禁止用語が入る)と述べたため、ニュースで「放送禁止用語打法」と紹介された。しかしこの恒例の打法命名も2006年4月18日の引退宣言での「28年間思う存分野球を楽しんだぜ。今年でユニホームを脱ぎます打法」を最後に封印された(後述)。

2006年4月18日、今季限りでの引退を表明。本人によると自慢の守備で衰えを感じるようになり、体力限界が原因であると述べている。フロントはおろか、トレイ・ヒルマン監督や同僚の選手も寝耳に水であったらしく、日本ハム本社は「どんな手を使っても残留させる」と発言。しかし、新庄の意思は固く日本ハム本社・球団は同年9月1日に慰留を断念した。

同年10月26日に北海道日本ハムは中日ドラゴンズを日本シリーズで下し優勝したが、新庄の優勝への貢献度は非常に大きいといえる。同チームの小笠原道大、フェルナンド・セギノール、稲葉篤紀ら中軸打者達と比べると打撃面では劣るが、その守備力やファンを惹きつけたパフォーマンス、「野球は楽しむもの」という考えをチームに浸透させたことなどは、チームだけでは無く、野球界全体への最大の貢献と言っても過言ではないだろう。 引退発表からシーズン後半にかけてマスコミの注目度は日に日に増し、新庄のパフォーマンスは「新庄劇場」と形容されて報道された。

新庄剛志ヒトリファン倶楽部 | 引用「WIKIPEDIA」